2020-11-11(Wed)

栃木県栃木市都賀町合戦場遊郭跡地を歩く

栃木県栃木市都賀町合戦場。

東武日光線合戦場駅の近くにかつて遊郭があった。

合戦場という印象的な地名は1523年、領土を広げようと南下して来た宇都宮氏と地元の皆川氏がこの辺りで激突した戦さがあったことによる。

江戸時代になり例幣使街道(れいへいしかいどう)が通ると宿場町として栄えた。宿場町は幕府の公用で旅をする人たちに人馬を提供をする義務(人馬継立)を負っていた。その代わりに旅人の身の回りをお世話する、という名目で飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれる売春婦を雇い、売春業をすることを許された。それらを飯盛旅籠という。これが遊郭のルーツとなる。

明治時代になると娼妓取締規則などによって公娼制度(国が許可する売春に関する決まり)が定められ、飯盛女は「娼妓」、飯盛旅籠は「貸座敷」と呼び変えられ営業を続けてゆく。

合戦場も例幣使街道沿いに貸座敷があり、1904(明治37)年の栃木県警察統計表では貸座敷9軒、娼妓数55人となっており、栃木県内では宇都宮(15軒88名)、堀米(現佐野市 12軒92名)に次ぎ、大田原(9軒40名)と同程度の多さである。

合戦場遊郭
これはその頃の貸座敷のひとつ「間久利屋(まくりや)」を描いた鳥瞰図。多少盛っているかもしれないが広くて立派である。画像右下に妓楼や訪れた客などが見える。

やがて街中に売春店があるのは風紀上よくないとして「遊廓設置規定」が定められ、貸座敷はまとめて県によって決められたエリア(遊郭)に移転させられた。栃木県内では1894(明治27)年に宇都宮に遊郭が初めて出来、合戦場の遊郭は1906(明治39)年に誕生した。どれくらいの規模だったかというと、1911(明治44)年元日に下野新聞に出した広告によると貸座敷数7軒(中楼、若狭楼、虎尾楼、日の出楼、萬華楼、若葉楼、清州楼)、時代が下って1930(昭和5)年の「全国遊廓案内」では6軒、約30人くらいとなっている。

合戦場遊郭
場所はこのあたり。

合戦場遊郭
「大日本職業別明細図之内栃木県」にも合戦場駅の東南に「遊廓」と記され、貸座敷名も記載されている。

合戦場遊郭
都賀町史によると遊郭内の貸座敷の並びはこのとおり。これは南が上になっている。貸座敷は以下のように入れ替わりもあり、

・日の出屋
・若狭屋
・中屋→旭楼
・万華楼→中升屋
・清洲楼→福本楼→新栄楼→高麗楼
・寅(虎)尾屋
・若葉屋

最大で7軒あった。

遊郭の中は基本的には娼妓とお遊びするお客が出入りしたが、盆踊りになると郭内に櫓が組まれ、大勢の人が集まり踊り狂い相当賑わったという。

合戦場遊郭
貸座敷内より踊りに見惚れるお安くない2人(1934年の写真)

1929(昭和4)年9月1日早朝には虎尾屋より出火、全焼はしたものの避難や消火が早く延焼や死傷者はなかった。

その時のこぼれ話として、出稼ぎのため上京する大工さんがこの日沢山の荷物を背負ったまま登楼、恋人の娼妓さんとお別れの夜を過ごしたが火事となり、大慌てでシャツ1枚で逃げたため荷物全部を焼かれてしまい上京できなくなり、娼妓さんは恋人と別れずに済んだが大工さんにはホントに気の毒なことである、というエピソードが当時の下野新聞に記されている。

太平洋戦争後、公娼制度は廃止され、それに基づく「貸座敷」や「遊郭」もなくなった。しかし実際は売春業はなくなっておらず、主に終戦まで残っていた遊郭や売春業が盛んだったエリアは警察から容認または黙認され(赤線・青線)、貸座敷や売春店は「特殊飲食店」と呼ばれるようになり営業を続けた。

栃木県内では昭和初期の不況や戦争の拡大により消滅してゆく遊郭が多かったが合戦場遊郭は終戦後も赤線として残り、1958(昭和33)年まで続いた。この年の4月1日から売春防止法違反罰則が適用されることになっており、栃木県内では県の方針によりこれより1ヶ月先立ち2月28日までに全ての特殊飲食店(赤線・青線業者)が廃業・転業届を提出し、合戦場の飯盛旅籠から約300年続く歴史もこの時終わった。

この時合戦場には7軒の特殊飲食店があり、廃業したり料理店、風呂屋、貸間などに転業していった。

合戦場遊郭
現在の合戦場を訪れてみた。まずは合戦場駅。勇ましい名前に似合わずこじんまりとした可愛い無人駅である。

合戦場遊郭
無人駅なので駅正面の商店がきっぷを委託販売。もう閉業してるっぽいが。

合戦場遊郭
駅前のちょっとした飲み屋ストリート。判で押したように同じ建物が3つ並ぶ。

合戦場遊郭
その先には4つ並んだ4つ子住宅…

合戦場遊郭
じゃなかった、5つ子だった。おそ松くんみたいだ。

合戦場遊郭
とてもレトロな精肉店。

合戦場遊郭
スーパーの廃墟。富士山がズッコケてしまっている。

合戦場遊郭
ようやく遊郭入口に到着。真ん中の道が遊郭のメインストリートになる。この両脇に花崗岩の門柱が立ち、向って左側に「対花」、右側に「売笑」と筆太な文字が刻まれていた。赤線廃止後、どういうわけか門柱は栃木市警察署庁舎南側の入口に移設された。間もなく取り払われたそうだが何考えてんだか。

赤線廃止から約60年、さすがに面影を見付けるのは困難だが、住宅にしては艶やかな建物が。

合戦場遊郭

合戦場遊郭
これは赤線時代の特殊飲食店「玉屋」の跡である。遊郭時代の貸座敷から続く店ではないという。

「玉屋」は戦前は料理店だったが戦中物資不足のため笹団子店となり、戦後特殊飲食店に転業した。終戦後は近くの飛行場が進駐軍に接収され米兵がやって来、機械部品を作る大きな工場もあり、工員を狙って特殊飲食店が増えた時期だった。

合戦場遊郭

合戦場遊郭
窓が素敵だ。

玉屋の子に生まれ、シャンソン歌手となった若林ケンさんについての書籍「魂のシャンソン歌手 若林ケン-僕は一人の娼婦になる」によると、赤線時代の合戦場は

『夏は、夕方になると縁台が店の前に並び女達がうちわを持って座る。(中略)冬は皆家に引きこもり、客は玄関を開けて中に入ると、正面に丸窓があり、窓の障子を開ける。そこから覗いて女の品定めをする。丸窓の前は二畳ほどの板場になっていて、女達が火鉢にあたりながら「早く客が来ないかね」と待っている』

こんな様子だったという。冒頭の鳥瞰図「間久利屋」主人も若林姓であり気になるところではある。玉屋は赤線廃止後、小料理屋に転業した。

合戦場遊郭
玉屋の他にももう一つ素敵な建物が。これも玉屋と同年代で似たような建物なので特殊飲食店跡である…と断定したいがウラは取れなかった。

合戦場遊郭
惚れ惚れするほど美しい丸窓。

合戦場遊郭
屋根には「丸に隅立て四つ目」の家紋。何かの手掛かりにならないか…。

一旦遊郭エリアを少し離れて散策してみる。

合戦場遊郭
東武日光線合戦場駅のすぐ西側にある磐根神社。灯籠がおごそかに灯り、本殿が開いており、神主さんだろうか、掃き掃除をしていた。七五三参りの準備であろう。おはようございます、と挨拶をした。

合戦場遊郭
本殿に掛けられている奉納額がある。

「奉納 磐根神社 日露戦役記念 明治三十九年一月 大字合戦場 願主 森戸平八」

と書かれており、願主の森戸平八さんとは先ほど書いた虎尾屋の楼主である。

遊郭跡地に戻り、メインストリートではなく遊郭の境界をなぞりながら歩いていたら行き止まりになってしまった。その脇の家の庭におじいさんが立っていて、目が合って「ん?」みたいな反応をされてしまった。怪しいもんじゃないよ、おいらベロってんだ…と焦ってしまい

「突然すいません、散策をしている者です。この辺は昔遊郭だったと聞いたのですが」

おそるおそる尋ねてみると

「うん、そう、ここが遊郭だよ!」

「そこの広い通りあったでしょ、『新地通り』っていうんだよ」

「昔は立派な蔵もあったんだけどね。なくなっちゃった」

不審者扱いせずすらすらと親切に教えてくださるではないか。気をよくした僕は先程の特殊飲食店っぽい建物を差し、

「あの建物は遊郭当時のものなんでしょうか」

疑問をぶつけてみてみたところ

「あー…、わかんね(栃木弁)」

さすがに難しいか。いろいろ教えていただいたのでお礼を言って行き止まりを引き返すと奥さんらしき方もお家から出て来たので会釈して後にした。

「なに話してたん?」

「遊郭だってさ!遊郭!」

そんなご夫婦の会話を背中越しに聞きながら合戦場遊郭跡を後にした。朝からお騒がせしてすみませんでした。

【参考文献】
・下野新聞…下野新聞社
・栃木新聞…栃木新聞社
・栃木県警察統計表.明治37年…栃木県警察部
・日本博覧図栃木県之部…青山豊太郎編
・大日本職業別明細図之内栃木県…東京交通社編
・全国遊廓案内…全国遊覧社編
・都賀町史…都賀町史編さん委員会編
・嘆きの天使 魂のシャンソン歌手 若林ケン-僕は一人の娼婦になる…吉岡逸夫著

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