2020-06-30(Tue)

栃木県矢板市矢板遊郭跡地を歩く

栃木県の北部の矢板市に、かつて遊郭があった。

県内の遊郭の場所はもともと江戸時代から「飯盛旅籠」(エッチなことさせてくれる女郎さんがいる宿)があった宿場町にあることが多い。

そういった県内21箇所(後に16箇所に減)が1890年代(明治20年代)に県が定めた「貸座敷及娼妓取締規則」によりエッチな営業が出来る場所として指定されたからである。それらが後の遊郭となった。また、営業をするための様々な決まりも定められ、「飯盛旅籠」は「貸座敷」、「女郎」さんは「娼妓」と呼ばれるようになった。

矢板はまだその時点では指定されてはいなかった。矢板も「矢板宿」という宿場町であったがおそらくそれほど大きな街ではなく飯盛旅籠もなかった、またはあったとしても指定されるほど盛んではなかったと思われる。

しかし1899(明治32)年9月、栃木県令第60号「遊郭設置規定」により矢板を含む9箇所が「遊郭を造っていいよ」と追加された。これまで貸座敷など全くなかった健全な箇所もあり、何故いきなり指定されたのか分からず「風紀を乱す」として県知事を批判、規定を撤廃すべしと各地で反対運動が起こったが、結局はこの追加9箇所の内7箇所は遊郭が誕生している。

矢板の遊郭はその内のひとつとして1907(明治40)年ごろ出来たと考えられる。

矢板遊郭
場所はおよそこのあたり。矢板駅から駅前通りをまっすぐ、徒歩10分ほどである。貸座敷(妓楼)は最大で4軒あった。確認出来た貸座敷と名前は以下の通り。

1911(明治44)年:坂田楼・松栄楼・旭楼・澤楼、
1915(大正4)年:坂田楼・松栄楼・旭楼・堺楼
1941(昭和16)年:坂田楼・松栄楼・中村楼

矢板遊郭
現場に到着。この駅前通りの両側あたりが遊郭エリアである。駅前通りは奥に写っている矢板中央高(サッカーが強い)前まで続いているが、当時は遊郭までで終わっていた。

矢板遊郭
1907(明治40)発行の栃木県営業便覧。画像上が南。駅前通り沿いの商店や遊郭の記載がある。

矢板遊郭

矢板遊郭
遊郭を思い起こさせられるものは何も残っていないが、通りの脇に稲荷神社があった。綺麗に保たれていることに感心する。遊郭に稲荷神社は付き物、と写真を撮ったり社殿や石碑などを見たりウロウロしていたら

「何か調査でもなさっているんですか?」

神社の隣の公園で犬の散歩をしていた綺麗なご婦人に声をかけられた。あ、怪しいもんじゃないよ、おいらベロってんだ…と出来るだけ不審者扱いされないよう出来るだけにこやかに

「ここに遊郭があったと聞いて調べているのです」

遊郭の四角いエリアを表すつもりで両手人差し指にてスッスッスッと空中に四角を描きながら答えると

「そうですよ。ここが遊郭です。昔は黒塀が残っていましたね」

「おお、そうですか!」

即答してもらえて歓喜。親切そうなお方でよかった。黒塀、見たかった…。

「この神社も女郎さん達のために造られたんですよ」

「おお、そうですか!いつぐらいまであったんですかね?」

「さあ~私の祖父の頃はあったようですが…」

僕は神社の境内で、ご婦人は公園の中で、境のフェンス越しに話すソーシャルディスタンス。頃合いを見計らってご婦人にお礼を言ってまた探索を続ける。

「石に名前が残っているのもありますよ」

矢板遊郭
と教えて貰ったので見つけたのが手水石の土台。

「大正15年 坂田楼内 マサ子」

と刻まれている。坂田楼は先ほど述べた4つの妓楼のうちのひとつ。当時の下野新聞には「娼妓の玉高の毎月多いのは坂田楼だ。それに娼妓の食い物の悪いのも一番だろう」などと書かれている。マサ子さんはどのようにして娼妓になったのだろうか。多くの娼妓のように家の貧困を救うために買われて来たのだろうか。どんな思いで寄進したのだろうか。

矢板遊郭

矢板遊郭
これは東日本大震災で破損し撤去されてしまったという玉垣。そういえば、1935(昭和10)年6月、無免許で車を運転した男が遊郭の右側の門柱に激突し真っ二つにしてしまい大騒ぎになったという記事が下野新聞にあった。門柱は太さ2寸角(60ミリ×60ミリ)、高さは1丈(約3メートル)、白河石で出来ていたとのこと。

矢板遊郭
遊郭跡を離れてしばし街中を歩く。駅から出るとすぐにどーんと見えるのが「SHARP」のロゴ。かつて世界に誇った日本家電メーカーの勢いの名残りのような。

矢板遊郭
「カレン」。はきもののデパートというのがいい。

矢板遊郭
こんな雅なスナック看板が。

矢板遊郭

矢板遊郭
「カフエー」「社交飲食店」などの鑑札が残っているところも。

矢板遊郭
ほのぼのとした18禁マーク。パッと見エッチなお店関係かなと思うがパチンコ屋に貼られていたものである。

矢板遊郭
懐かしのごきぶりホイホイ。

矢板遊郭
汚れて破れて怖い字体になっている喫茶店ピノッキオ。

矢板遊郭
かつて矢板で最も栄えたという通りにある古めかしい店舗たち。瀬戸物の店「岸」。

矢板遊郭
手芸の店「まからんや」。

矢板遊郭
「金光堂時計舗」。物干し竿に洗濯ばさみも残っているのがポイント高い。

矢板遊郭
坪山履物店。看板建築に△△△を増強した感じが好き。

矢板遊郭
台湾料理店らしからぬ巨大なモニュメント。なんだこれと思わせるが、ここは「栃木実父殺し事件」として有名な事件に関わりがある「福田印刷所」があった場所である。

1968(昭和43)年、矢板市の中市営住宅に住んでいたA沢千代さんは実の父を絞殺した。千代さんは14才の頃から実父に強姦され続け5人の子供まで出産し(うち2人は死亡)、夫婦同然の生活を強いられていたのである。

「福田印刷所」は子供達を保育園に預けられるようになってから勤め出した千代さんの職場で、そこで7歳下の同僚と出逢い結婚を考える程の仲となった。しかしそれを知った父親は激怒し妨害、恋人に合わせないよう千代さんを監禁してしまう。千代さんは束縛から逃れるべく遂に父親を腰紐で絞殺した。

当時は「尊属殺人規定」といって、父親や母親、直系尊属の人間を殺すと通常の殺人より重い罪になっていた。しかし千代さんに同情し無償で千代さんの弁護人を引受けた親子2代の弁護士は、尊属殺人規定は違憲であると主張し千代さんを弁護、結果最高裁で認められ執行猶予付きの判決となった。

矢板遊郭
ここが千代さんと父親、子供達が住んでいた矢板市市営住宅。当時は平屋で千代さん達は4世帯が連なる長屋に住んでいた。行く時間が無かったのでグーグルストリートビュー。

家の貧困のため身を犠牲にした娼妓と通じる悲哀を感じつつ矢板を後にした。

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