2017-01-24(Tue)

千葉県松戸市「平潟遊郭」跡地を歩く。

千葉県松戸は、陸路では水戸街道の松戸宿として、また、水路では江戸川水運の要所でもあることから栄えた。

平潟遊郭
松戸宿から北西方向に10分ほど歩いたところにある平潟遊郭は(↑の地図左上、黄色く塗ったところが遊郭のメインストリート)、その旅人や水運関係者達のお世話をする飯盛女(夜のエロいお相手もした)を旅籠屋に置いたことがルーツであるようだ。

松戸駅西口から流山街道を北上し、「かざね薬局」と「銚子商工信用組合」の間の道に左折。やがて坂川にかかる水堰橋を渡ると十字路の向こう側、谷口ビルの角に道標が残っていた。
平潟遊郭
「右 流山 野田 道
 左 平潟遊廓  道 
 根本川岸組合   」

とある。その通り左に進んで行くと、1868年開業という「松戸シティホテルSENDAN-YA」(旧「せんだんや」)前に出る。

平潟遊郭
その裏あたりに平潟遊郭の東の大門があった。

平潟遊郭
遊郭のメインストリートがこちら。江戸時代から続き、関東大震災後に全盛期を迎えたという平潟遊郭も1958年の売春防止法の施行により全ての妓楼が廃業。その後建物は学生寮などに利用されたが1994年に最後の建物が撤去されてしまったらしい。

平潟遊郭

平潟遊郭
現在はほぼ住宅、マンション、空き地になっており、古い街灯と遊郭が存在した時代からあったという柳がわずかに当時の面影を残す。

平潟遊郭

平潟遊郭
遊郭に隣接する平潟神社。天水桶は遊郭内にあった「九十九楼」の寄贈によるもの。

平潟遊郭
平潟神社とほぼ向かい合っている来迎寺。ここにも「九十九楼」と刻まれた墓石があった。あまり読めないが正面には「……信女」、側面には「大正十四年 九十九楼娼妓一同 …一同」と刻まれている。

平潟遊郭
大正時代の平潟遊郭。右側の建物がその九十九楼だという。

平潟遊郭

平潟遊郭
やはり大正時代だと思われる平潟遊郭の西側の大門の写真と、現在の様子。左側は日大の学生寮になっている。

平潟遊郭
「メロリンキュー」。こんな落書きや、もう何年放置されているか分からない幼稚園の送迎バスや、草ボーボーで朽ち果てたテニスコートなどが醸し出す寂れた感じが、かつて煌びやかに栄えていたこの街の歴史と対照的で物悲しかった。

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