2017-11-03(Fri)

栃木県黒羽遊郭跡地を歩く。

栃木県大田原市の黒羽。

東北本線西那須野駅からバスで東へ40分ほど揺られていると到着する。明治維新まで続いた大関氏による黒羽藩の城下町として、また那珂川の水運の拠点として栄えた。

「全国遊廓案内」(1930年)には「黒羽村遊廓」についての記載があり、

『山中に在る。ぽつりんとした小さな村であるが、隣の川西町と共に那珂川の上流河畔に望んで水運の便があるので、之の町には相当に近在の人々が集って来るので、現在では遊楼が四軒、娼妓は約二十人程居る。御定まりは二円位で酒肴が付いて一泊出来る。二円以上三円、四円五十銭と費用は客の任意であるが、特に本部屋としての設備がない様である。遊興は東京式廻し制、店は重に陰店を張っている。娼妓は全部居稼ぎ制である。』

とある。「ぽつりん」というのがカワイイ。

明治時代の小説家、押川春浪の「本州横断 癇癪徒歩旅行」には、水戸から黒羽に寄る途中、八溝山に登った際、廃殿に

『明治43年10月20日、黒羽町万盛楼の娼妓小万、男と共に逃亡、この山奥に逃込みし、捜索のため云々…』

という落書きがあったと記されている。また、遊郭と背中合わせに「曖昧屋」(表向きは旅館だったり料理屋だったりするけれども、お相手する女性がスタンバってて売春をする非合法な店。ちなみに遊郭は合法。)があったとも。

遊郭は黒羽の街の中心から北の方、現在の住所では栃木県大田原市前田にあった。



「下野新聞」によると遊郭の開業は1902(明治35)年1月25日と記されている。開業時は井開楼という名前の妓楼(貸座敷)が1戸、娼妓4名、藝妓2名、半玉(はんぎょく:まだ年少の藝者)1名で始まり、その年5月に萬盛楼が開業、その後奈良楼と富貴楼が加わり最大4軒の妓楼があった。

現在の様子は以下の通り。当時の痕跡は全くなかった。

黒羽遊郭
遊郭の西側から東方面を撮る。

黒羽遊郭
東側から西を。

黒羽遊郭
辛うじて電柱に「新地」とあったのが遊郭(新地)の名残りといえるかもしれない。

黒羽遊郭
この廃屋の向かって右側は民家の駐車場になっているが、40年ほど前の住宅地図を見てみるとここには「大塚○兵衛」さんという方の家があったようである。この名前は4妓楼のうちのひとつの主人の名前と「○」のところを除いて一致しており、ここに4軒の妓楼のうちのひとつがあったと考えたい。

黒羽遊郭
なんとなく2階部分が気になった民家。

黒羽遊郭
屋根が素敵な民家。

黒羽遊郭

黒羽遊郭
山と川に挟まれてぽつりんとした黒羽の街並み。

黒羽遊郭
中世の西洋では理容師と医師は同じであったことを思い起こさせる床屋跡。

黒羽遊郭
人見さんという家が多かった。

黒羽遊郭
北朝鮮ぽいパチンコ屋(?)の廃墟。

遊郭跡地を歩いている間は誰一人として遭遇せず静かすぎた。風景もこれまた寂し過ぎるので、遊郭があった頃のアグレッシブでドタバタな話をひとつ紹介し、遊郭があった頃の賑やかさを想像しながらこの記事を終えようと思う。出典は1914(大正3)年4月5日の「下野新聞」。

1.黒羽遊郭井開楼の娼妓(娼婦・女郎のこと)、源氏名(風俗業界ネーム)操さんは、誓紙を交わして結婚の約束をするほどラブラブな男がいた。

2.ところが操さんの知らぬ間に男は別の女とくっついて結婚式を挙げているではないか!

3.操さん、ブチ切れて結婚式現場に怒鳴り込み。

4.しかし男と嫁、およびその親族のガードが固かったのか全く相手にされず。

5.すごすご帰るところをポリスに見つかり怒られちょっと罰金も取られてしまった、とのことでしたとさ。

以上、操さんにとっては気の毒な結末に。貸座敷所属の娼妓は勝手に遊郭の外に出ることが許されなかったのである。いつの世も男と女は騙し騙されである。

原文は以下の通り。

『女郎怒鳴込む

那須郡黒羽町字前田遊廓井開楼事井上鐵乃助方抱娼妓操事宮城県川俣村生川俣君江(23)はかねて己と夫婦誓紙を取替はしたる同郡川西町大字蜂巣渡邊喜一郎が親戚某の媒酌にて嫁を貰ひ2日華燭の典を挙ぐるを聞きてかっとなり主人に無断で同楼を飛び出し前記渡邊方に至り大に啖呵を切ったるも相手にする者なきよりすごすご帰りしを川西署にて聞込み4日君江は同署に喚出されお目玉頂戴の上若干の科料に処せられたりと』

白金はシロガネーゼ、赤羽はアカバネーゼと呼ばれるように、黒羽もクロバネーゼと呼ばれるのだろうか。なんちて。

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2017-11-04(Sat)

栃木県大田原遊郭跡を歩く。

栃木県大田原市は県北の行政・経済の中心地。

遊郭は現在の繁華街から少し離れたところにあった。その場所の地名から「深川新地」とも呼ばれていたようである。

大田原の貸座敷(妓楼)は、遊郭が出来る前は主に街の中心部・仲町にあり、明治の中頃には15、6軒あった。(下野新聞1889[明治22]年7月30日)

1899(明治32)年9月に栃木県による「遊郭設置規定」が出来、貸座敷が街なかにあるのはよろしくないので、離れた場所にまとめて移転しよう、という方針が取られた。

その当時の大田原町は宇都宮に次ぐ貸座敷数があり、町の北端「沼の袋」が遊廓設置の指定地となった。遊郭設置規定は、何故か全く貸座敷がないのに指定された地域がいくつもあり、風紀上よろしくないと考える人達による県知事への反対運動が起こり、大田原も例外ではく、遊郭反対、貸座敷そのものも廃止すべき、という声が上がったが(下野新聞1899[明治32]年10月26日)、設置規定から約9年後に遊郭は出来ることになる。

下野新聞にて大田原の貸座敷移転に向けての本格的な動きが見られるのは、自分の見落としもあるかもしれないが、1907(明治40)年8月6日の記事から。

巴屋、萬屋、井丸屋、片岡屋、叶屋、福田屋、岩井屋、武蔵屋の8軒の貸座敷があったと記されている。

当時は貸座敷より料理店が繁昌し、芸妓が娼妓を圧倒する不景気により、莫大な移転費を負担した上に景気も回復しなければ自滅してしまうのではないか、というリスクや、沼の袋があまりにも不便な地だったことから貸座敷業者は誰一人移転の準備をしていなかったという。しかし8月頃から片岡屋と福田屋を除く6軒が移転を決め、遊郭指定地を不便な沼の袋から深川に変更する運動をしようと協議を始めた。

同年12月5日には「赤堀に変更せられ敷地の分割その他につき準備中」との記事があり、移転前の地での営業許可は当年中までだったので、それから大急ぎで遊郭造成に取りかかっている。

翌年1908(明治41)年1月19日の記事には移転地は赤堀ではなく「深川に指定変更せられたる」となっており、期限も3月31日と記載されており、若干12月の記事とは内容が違っている。

期限はともかく、移転地については記事によって「赤堀」だったり「深川」だったりするので、いずれも同じ場所を指しているものと思われる。

遊郭は1908(明治41)年3月31日に完成、巴屋、井丸屋、叶屋、岩井屋、武蔵屋の5軒が移転した。ちなみに栃木県内ではほぼ同じ時期、1月に石橋、2月に足尾、3月に福居と烏山の遊郭が完成している。

「全国遊廓案内」(1930年)の「大田原遊廓」には

『妓楼数四軒、娼妓役二十人位居る』

と書かれている。

大田原遊郭
大田原遊郭
鳥瞰図「栃木県大田原町真景」(1924年)に描かれている大田原遊郭。妓楼の持ち主の苗字はモザイクで隠した。遊郭発足時は5軒だった妓楼だが、叶屋がなくなっており、閉業したものと思われる。新岩井楼の右側に空いているスペースがあるので、ここに叶屋があったのだろうか。

「深川100年の歩み」には

『本町2丁目2813地内に明治末期から大正時代を全盛に昭和初め迄、新岩井楼、巴楼、井丸楼、武蔵楼などと呼ぶ遊郭(新地)があった所で、遊女達も敷島、福井、白梅、小春など30~40人位が住んでいたようです。
 昭和はじめ頃住宅も取り壊され町に運ばれるのを見ました。
 新地にはお稲荷さんがまつって有りました。(中略)新地の入口には石で出来た門柱が有って(3m位で太さは50cmあったろうか?)、其の石に「桜花 艶舞遊仙窟」と刻み込まれていたように覚えています』

とある。

大田原遊郭
これがそのお稲荷さんにあった手水鉢。上記の妓楼や娼妓の名前が刻まれている。今は深川公民館の敷地内に置かれている。


「本町2丁目2813地内」の実際の場所はここ。

大田原遊郭
南側から北方向を撮ったもの。道路の左側が遊郭エリアで、手前から新井丸楼、武蔵楼、巴楼、新岩井楼と妓楼が並んでいた。

大田原遊郭
現在は普通の住宅地である。

大田原遊郭
一番北側にとても古い廃墟があった。

大田原遊郭
北側から南を向いて撮った。遊郭の名残りは何もない。40年ほど前の古い住宅地図には、

大田原遊郭
先程モザイクをかけた4軒の妓楼の持ち主の苗字のうち、2軒の同じ苗字の家が残っていた。しかし現在はもう確認できない。

遊郭跡を訪ねた後は現在の盛り場を探索。

大田原遊郭
大田原市中央一丁目、南北に走る「柳小路」と呼ばれる飲み屋街。閉店したお店が目立ち寂れている。ガラスが割れたまま廃墟化している建物もある。

大田原遊郭
パンダかわいい。

大田原遊郭
やたらと猫が多い。

大田原遊郭
スナック長屋。

大田原遊郭
ママさんがお店に贈られた花を軽トラの荷台に乗せて運んでいた。

大田原遊郭
立派だが稼働率の低そうなスナックビル。

大田原遊郭
こちらは柳小路に並行し、更に細い「花小路」。飲み屋が密集し裏路地感が半端ない。

大田原遊郭
東西に走り、柳小路、花小路と交わる「つくし野通り」。通称「親不孝通り」と呼ばれているそうな。

大田原遊郭

大田原遊郭
「飲み屋街でよく見かける三大店名」のうち、「恋のから騒ぎ」「紫蘭」を見つけた(残りひとつは「来夢来人」)。

大田原遊郭
親不孝通りから更に裏通りへ誘う「愛らんど愛」なる看板。

大田原遊郭
矢印のとおりに進んで行くと、これが「愛らんど愛」だった建物。店の前には滝と川の流れを模した水景設備があり、その水の流れの上を太鼓橋で渡って入店するという無駄に雅びな作りになっている。

「愛らんど愛」は2010年頃まで営業していたと思われる「本サロ」のお店であった。本サロとは「本番ピンサロ」のこと。

※ここから思いっきり下ネタになるので苦手な方は読み飛ばしてください。

本来「ピンサロ」とは口や手で性的サービスを行なう風俗店であるが、「本サロ」は表向きはピンサロでも実は「本番」も出来てしまうという限りなくアウトに近い、ていうかアウトなお店である。

今は外されているが、かつてはこの建物に「愛らんど愛」「アタック制」と書かれた看板があったという。「アタック制」とは、やって来たお客さんに対し女の子がふたり、ひとりずつ挨拶(アタック)すること。お客さんはいずれか好みの女の子を選び、サービスを受けるのである。

このお店は単に挨拶するだけだったようであるが、今でも本サロが存在し、本サロのメッカである栃木県小山市では、挨拶と共にちょっとだけお口でペロリーヌするアタック制のお店もある。

話を戻し、再び散策。

大田原遊郭
中央通り、足銀とNTTの間あたりにある風俗店の廃墟。

大田原遊郭
中央1丁目、亀屋酒店隣にある風俗店「Peach」の看板(店はもうない)。

大田原遊郭
図書館が入っている「トコトコ大田原」の裏あたりにある「高島設計事務所」。ロシアの聖堂っぽいタマネギ屋根が気になるがこれも廃墟のようだ。

大田原遊郭
図書館で調べものをしていたらいつの間にか夕暮れ時に。夕方5時少し前。飲み屋より一足先にいくつかの中国人系エステ店(チャイエス)の明かりがぽつりぽつりと灯る。ここも表向きはエステだけれども実は本ば…。

大田原遊郭
夕焼け雲とタマネギのシルエットがキレイであった。

大田原。県北の中心地だけあって密度の濃い街並みであったが、廃墟や更地になってしまった所が多く、10年前に来たかった。

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2017-11-05(Sun)

水曜日のカンパネラ「SOUND JUNCTION 渋谷音楽交差点」ベルサール渋谷ガーデン 2017.11.04

開演時間に間に合わず、受付でチケットを渡しながらホールの中から聞こえてくる「ゴッホ」に焦り、すぐさま中に飛び込んで行きたいが

「リストバンドを着けて下さい!」

とスタッフの人に制止され、不器用な上に焦っているからなかなか装着できず。

ホールの四隅にそれぞれステージがあって、それぞれが今日出演する4組のアーティストの演じる場所となっている。

しかしステージ以外でパフォーマンスすることが多いことで定評のあるコムアイさんなので、必ずしもそこで演じるとは限らない…。

と思いながら中に入ったのだけれども普通に「?政」をステージで歌っていた。しかし「バク」からは水曜日のカンパネラの唯一無二の演出。大きな布が観客をコムアイさんごと覆いかぶさってきた。

布が広がるのと一緒にコムアイさんもステージから観客の海を突っ切って行く。乗っかった台の上で布のうねりとシンクロしたようなダンスで魅せる。

水曜日のカンパネラ
「ウランちゃん」でもなめらかに体を動かす姿に恍惚とさせられる。



一休さんの踊りがかわいい。たまに観客にマイクを向けて「一休さーん」と歌わせていた。

水曜日のカンパネラ
最後の曲は「アマノウズメ」。ミラーボールの下でキラキラと歌って終了した。しかしこのイベントは2部制で、

『第1部では、各アーティストの定番曲を。第2部では、各アーティストが個性的な世界観で日本のポップスをカバー/アレンジしたスペシャルパフォーマンスを披露』

という進行で、第1部のトリ、中田ヤスタカのDJが終わった後に再び登場したコムアイさんは

水曜日のカンパネラ
加山雄三の「海 その愛」を披露。しかも

「ゲストをお呼びしています!」

水曜日のカンパネラ
本人も来てるし。

21071105004.jpg
若大将の圧倒的な存在感はすさまじく、大盛り上がりのうちに終了。前回観たベイキャンプの時よりもコムアイさんの美しさ度が増していたような気がする。

面白いイベントであったが、レッドブル主催だけにドリンクがレッドブルかレッドブル入りの何かしかなかったのが胸やけ気味であった。

文句雄三。なんちて。

【セットリスト】

第1部
01.ゴッホ
02.嬴政
03.バク
04.ウランちゃん
05.一休さん
06.アマノウズメ

第2部
01.海 その愛

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2017-11-20(Mon)

TT(とりあえず誕生日)

娘・Rは中二のお年頃なので、父との会話がわりとそっけない。

朝起きて

「おはよー」

と言っても

「うん」

だし、仕事に

「行って来ます」

と言っても

「うん」

だし。ただ寝る時は

「おやすみなさい」

と自分から言ってくるのはカワイイ。

あとRが好きな韓国日本台湾混合の女の子グループ「TWICE」のことを話す時だけは

「ねえパパー」

と目を輝かすので、

「ねえパパー、CDリリースするから予約してきて」

「うん」

「ねえパパー、今日発売日だから買ってきて」

「うん」

等、辛うじて会話が成立している。ただのパシリのような気もするが。

そんな立ってる者は親でも使えを地で行くRであるが、それでも触れ合いたいために、NHKのサイトで紅白歌合戦の出場者が発表された時に

「R、TWICEはつしゅちゅ…はつしじゅ…初出場だね!」

とカミカミで言ったところ

「知ってますぅー」

何今更言ってんのぐらいの勢いで馬鹿にされた。

「あ、SHISHAMOも出るよ」

「知・っ・て・ま・す~!昨日、内定のニュースで見たからからとっくに知・っ・て・ま・す~!」

人を馬鹿にした上からの喋り方は嫁そっくりであった。いくら冷静沈着色素沈着な僕でもさすがにイラッとしたので

「パパはSHISHAMOのライブを生で見たことあるんだぜー!」

負けずにマウントしようとしようとしたら

「うん」

で?っていう感じであり、もうちょっとパパと語らい合ってくれてもいいのに…と、ひとり涙酒の夜にあいなった。

で、時はちょっと流れて話も変わって今日は僕の誕生日。嫁の実家からこんなお酒をプレゼントしていただいた。

神聖
こ、この酒の名前は…。

神聖だけに、パパはかまってちゃんなのである。なんちて。

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2017-11-25(Sat)

水曜日のカンパネラ「MØ JAPAN TOUR」新木場STUDIO COAST 2017.11.23

水曜日のカンパネラが「MØ」の来日公演にてオープニングアクトとして出演する、ということで新木場STUDIO COAST。

水カンファン仲間4人で現地集合したが、MØのファンの方々は皆タワマンに住んでそうなお洒落で若くて美形な人が多く、タオルをひっさげ汗だくになってもOK的なライブキッズスタイルの我々は明らかにアウェイであった。

開演時間になるとコムアイさんの心臓の音がドクンドクンと鳴り響き、「ゴッホ」からライブが始まった。ステージはしばらく幕が閉じたままで、歌声と幕の隙間からこぼれる光のみの演出であったが、ようやく現れたコムアイさんは後光を背負っていた。新たに販売された黒の長袖オフィシャルTシャツに薄い桃色のパンツ、半透明のオレンジのベルトといういでたち。

水曜日のカンパネラ
ミステリアスな「ゴッホ」からすぐさま疾走感のある「嬴政」を歌い

「水曜日のカンパネラです」

いつものポヤポヤとしたトークで話をするコムアイさん。ミュヨーン、シュパアア、ポヨーンとノリが次々と変わるさまはさすがである。コムアイさんはMØにリスペクトを示しながら

「海外アーティストのオープニングアクトは初めてなんですが、それがMØで嬉しい」

ということを語り拍手を浴びていた。ちなみに国内では同じ事務所のアイドル・Especia(すでに解散)のオープニングアクトを務めたことがあったと思う。

曲に戻り「オードリー」では風になびく幕を背に熱唱し、「バク」になると再び幕の中に隠れ、しばらく踊りまくるコムアイさんの大きな影が映し出されて、ドラッギーな空間が広がった。

曲の後半、遂に幕をめくり上げて姿を現したコムアイさんは、幕をバッサバッサ上下させながらステージを降り、移動式の台(Dir.Fさんが一生懸命押していた)に乗って我々客がいるフロアまで割って入ってくるではないか。

水曜日のカンパネラ
コムアイさんは四方観客に囲まれたまま「ウランちゃん」「ユタ」を歌い、観客に触れそうなぐらい大きく体をうねらせる。

水曜日のカンパネラ
ミラーボールが降りてきて巨大な星のような光を発し、時々膨らんだでっかい「布の袋」が客の上をたゆたっていて、それもまた演出のひとつでフロアは熱くなっていた。


最後の曲は「アマノウズメ」。台がゆるゆると後退し、コムアイさんがステージに戻る瞬間、長袖黒Tをバッと脱ぎ捨て、ミラーボールのようにギンギラギンに輝くタンクトップ姿になり観客キャアアアア。おじさんもきゃあああ。

「最後までたのしんでってね!」

キラキラしたままコムアイさんはステージを後にした。オープニングアクトと呼ぶにはあまりにもインパクトの大きいものであった。

次のMØの出番までは結構時間があって、僕らは後ろに退いて感想を言い合ったりしていたのだけれども、ちょうどそこにケンモチさんがいてしばらくしゃべってくれた。他に重要な業界人とかたくさんいるだろうに素人の僕らの下らないダラダラ話につきあってくれてありがたいことである。

MØのライブが始まるまでバーカンでドリンクをもらったり物販ブースを覗いたりして、

「MØ始まりますよー」

というスタッフの声を聞きフロアに戻ると、おおこれはすごい。YOUTUBEで予習をしていたものの、生のMØのパフォーマンスは自然に体が動いてしまうほど素晴らしいものであった。適当に踊っているとそばにはやっぱりケンモチさん。

「てやんでえやんでえ」

Eテレで絶賛放映中の「江戸っ子どこどこ」の踊りも一緒にしてもらってしまったとさ。

お江戸八百八町というけれど、現在の東京23区のうち、どの範囲に住んでる人が江戸っ子か、ということには諸説あると思う。僕が住んでいる練馬区は江戸の範囲外なのでダメ、というのが通説だがこの踊りに免じて僕も江戸っ子扱いしてもらいたい。

ついでにMØのデンマー区も。なんちて。

【セットリスト】

1.ゴッホ
2.嬴政
3.オードリー
4.バク
5.ウランちゃん
6.ユタ
7.アマノウズメ

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