2017-11-04(Sat)

栃木県大田原遊郭跡を歩く。

栃木県大田原市は県北の行政・経済の中心地。

遊郭は現在の繁華街から少し離れたところにあった。その場所の地名から「深川新地」とも呼ばれていたようである。

「全国遊廓案内」(1930年)の「大田原遊廓」には

『妓楼数四軒、娼妓役二十人位居る』

と書かれている。

大田原遊郭
大田原遊郭
鳥瞰図「栃木県大田原町真景」(1924年)に描かれている大田原遊郭。妓楼の持ち主の苗字はモザイクで隠した。

「深川100年の歩み」には

『本町2丁目2813地内に明治末期から大正時代を全盛に昭和初め迄、新岩井楼、巴楼、井丸楼、武蔵楼などと呼ぶ遊郭(新地)があった所で、遊女達も敷島、福井、白梅、小春など30~40人位が住んでいたようです。
 昭和はじめ頃住宅も取り壊され町に運ばれるのを見ました。
 新地にはお稲荷さんがまつって有りました。(中略)新地の入口には石で出来た門柱が有って(3m位で太さは50cmあったろうか?)、其の石に「桜花 艶舞遊仙窟」と刻み込まれていたように覚えています』

とある。

大田原遊郭
これがそのお稲荷さんにあった手水鉢。上記の妓楼や娼妓の名前が刻まれている。今は深川公民館の敷地内に置かれている。


「本町2丁目2813地内」の実際の場所はここ。

大田原遊郭
南側から北方向を撮ったもの。道路の左側が遊郭エリアで、手前から新井丸楼、武蔵楼、巴楼、新岩井楼と妓楼が並んでいた。

大田原遊郭
現在は普通の住宅地である。

大田原遊郭
一番北側にとても古い廃墟があった。

大田原遊郭
北側から南を向いて撮った。遊郭の名残りは何もない。40年ほど前の古い住宅地図には、

大田原遊郭
先程モザイクをかけた4軒の妓楼の持ち主の苗字のうち、2軒の同じ苗字の家が残っていた。しかし現在はもう確認できない。

遊郭跡を訪ねた後は現在の盛り場を探索。

大田原遊郭
大田原市中央一丁目、南北に走る「柳小路」と呼ばれる飲み屋街。閉店したお店が目立ち寂れている。ガラスが割れたまま廃墟化している建物もある。

大田原遊郭
パンダかわいい。

大田原遊郭
やたらと猫が多い。

大田原遊郭
スナック長屋。

大田原遊郭
ママさんがお店に贈られた花を軽トラの荷台に乗せて運んでいた。

大田原遊郭
立派だが稼働率の低そうなスナックビル。

大田原遊郭
こちらは柳小路に並行し、更に細い「花小路」。飲み屋が密集し裏路地感が半端ない。

大田原遊郭
東西に走り、柳小路、花小路と交わる「つくし野通り」。通称「親不孝通り」と呼ばれているそうな。

大田原遊郭

大田原遊郭
「飲み屋街でよく見かける三大店名」のうち、「恋のから騒ぎ」「紫苑」を見つけた(残りひとつは「来夢来人」)。

大田原遊郭
親不孝通りから更に裏通りへ誘う「愛らんど愛」なる看板。

大田原遊郭
矢印のとおりに進んで行くと、これが「愛らんど愛」だった建物。店の前には滝と川の流れを模した水景設備があり、その水の流れの上を太鼓橋で渡って入店するという無駄に雅びな作りになっている。

「愛らんど愛」は2010年頃まで営業していたと思われる「本サロ」のお店であった。本サロとは「本番ピンサロ」のこと。

※ここから思いっきり下ネタになるので苦手な方は読み飛ばしてください。

本来「ピンサロ」とは口や手で性的サービスを行なう風俗店であるが、「本サロ」は表向きはピンサロでも実は「本番」も出来てしまうという限りなくアウトに近い、ていうかアウトなお店である。

今は外されているが、かつてはこの建物に「愛らんど愛」「アタック制」と書かれた看板があったという。「アタック制」とは、やって来たお客さんに対し女の子がふたり、ひとりずつ挨拶(アタック)すること。お客さんはいずれか好みの女の子を選び、サービスを受けるのである。

このお店は単に挨拶するだけだったようであるが、今でも本サロが存在し、本サロのメッカである栃木県小山市では、挨拶と共にちょっとだけお口でペロリーヌするアタック制のお店もある。

話を戻し、再び散策。

大田原遊郭
中央通り、足銀とNTTの間あたりにある風俗店の廃墟。

大田原遊郭
中央1丁目、亀屋酒店隣にある風俗店「Peach」の看板(店はもうない)。

大田原遊郭
図書館が入っている「トコトコ大田原」の裏あたりにある「高島設計事務所」。ロシアの聖堂っぽいタマネギ屋根が気になるがこれも廃墟のようだ。

大田原遊郭
図書館で調べものをしていたらいつの間にか夕暮れ時に。夕方5時少し前。飲み屋やより一足先にいくつかの中国人系エステ店(チャイエス)の明かりがぽつりぽつりと灯る。ここも表向きはエステだけれども実は本ば…。

大田原遊郭
夕焼け雲とタマネギのシルエットがキレイであった。

大田原。県北の中心地だけあって密度の濃い街並みであったが、廃墟や更地になってしまった所が多く、10年前に来たかった。

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2017-11-03(Fri)

栃木県黒羽遊郭跡地を歩く。

栃木県大田原市の黒羽。

東北本線西那須野駅からバスで東へ40分ほど揺られていると到着する。明治維新まで続いた大関氏による黒羽藩の城下町として、また那珂川の水運の拠点として栄えた。

「全国遊廓案内」(1930年)には「黒羽村遊廓」についての記載があり、

『山中に在る。ぽつりんとした小さな村であるが、隣の川西町と共に那珂川の上流河畔に望んで水運の便があるので、之の町には相当に近在の人々が集って来るので、現在では遊楼が四軒、娼妓は約二十人程居る。御定まりは二円位で酒肴が付いて一泊出来る。二円以上三円、四円五十銭と費用は客の任意であるが、特に本部屋としての設備がない様である。遊興は東京式廻し制、店は重に陰店を張っている。娼妓は全部居稼ぎ制である。』

とある。「ぽつりん」というのがカワイイ。

明治時代の小説家、押川春浪の「本州横断 癇癪徒歩旅行」には、水戸から黒羽に寄る途中、八溝山に登った際、廃殿に

「明治四十三年十月二十日、黒羽町万盛楼の娼妓小万、男と共に逃亡、この山奥に逃込みし、捜索のため云々…」

という落書きがあったと記されている。また、遊郭と背中合わせに「曖昧屋」(表向きは旅館だけど売春をする非合法な売春宿。ちなみに遊郭は合法。)があったとも。

遊郭は黒羽の街の中心から北の方、現在の住所では栃木県大田原市前田にあった。



遊郭はいつごろ出来ていつごろなくなったのか全く分からず、現地に行っても当時の痕跡は全くなかった。

黒羽遊郭
遊郭の西側から東方面を撮る。

黒羽遊郭
東側から西を。

黒羽遊郭
辛うじて電柱に「新地」と名が残っていた。

黒羽遊郭
廃屋。

黒羽遊郭
なんとなく2階部分が気になった民家。

黒羽遊郭
屋根が素敵な民家。

黒羽遊郭

黒羽遊郭
山と川に挟まれてぽつりんとした黒羽の街並み。

黒羽遊郭
中世の西洋では理容師と医師は同じであったことを思い起こさせる床屋跡。

黒羽遊郭
人見さんという家が多かった。

黒羽遊郭
北朝鮮ぽいパチンコ屋(?)の廃墟。

白金はシロガネーゼ、赤羽はアカバネーゼと呼ばれるように、黒羽もクロバネーゼと呼ばれるのだろうか。なんちて。

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2017-06-17(Sat)

栃木県小山市小山町遊郭跡地を歩く。

栃木県小山市はかつて「小山遊園地」のCMでおなじみだった栃木県第二の都市。人口約16万人。日光街道の小山宿として栄えた歴史を持つ。

1876(明治9)年の三遊亭圓朝「上野下野道の記」には

『(小山)駅の中程、当今貸座敷五軒(略)昔ハ女郎や十五軒あり』

とあり、宿内に貸座敷(女郎屋)があったことが確認出来る。

1912(明治45)年、宿内にあった貸座敷4軒が思川のほとりに移転し、小山町遊郭が発足した。

『思川の沿岸眺望に富める地にあり妓楼四、紅閣檐を列ね銀燭輝き娼妓三十三人翠袖を翻し嫖客は粉囲香陣の裡に春奢を闘わし昔日の古戦場は歌奏の海となり栄華一の小揚州と謂つべし』

と「小山市史」にその繁栄ぶりが記されているが、1930(昭和5)年の「全国遊廓案内」には

『私娼街が一方に殖えた為遊廓は左程の発達を見る事が出来ない。現在、妓楼は三軒娼妓は約三十五人程居るに過ぎない」

とあり、衰退の様子が窺え、1940(昭和15)年6月1日に最後の妓楼が営業を終え、遊郭は消滅した。

栃木小山遊郭
『若亀の廃業で小山町遊廓全滅 四軒卅名の遊女も夢

小山町遊廓貸座敷若亀事水野龍太郎氏は今一日を以て断然営業を廃業することになった。同所は明治四十五年中當町下町本町内に在った宮藤亀村福吉若亀の四軒が移転したもので当時は娼妓も約三十名居り解悶消愁の地として各方面から先客万来全盛を極めたものであるが町方の芸妓が盛んになるにつれ漸時衰態傾き後を追ふて廃業者出てここ四五年間は前記若亀楼のみにて其の名残りを止めていたものである』

1940(昭和15)年6月1日の下野新聞にはこう記されている。

遊郭消滅から約80年、その跡地を訪ねてみた。小山駅西口からまっすぐ西に歩くと国道4号と交わるので左折、南下していくと大きな神社、須賀神社が右手に見える。関が原合戦の際に徳川家康がこの神社境内にて小山評定を行なったという。

もう少し歩くと二郎インスパイア系ラーメン屋「ハイマウント」があるのでそこを右折すると遊郭エリアに辿り着く。

栃木小山遊郭
この先は思川にぶち当たって行き止まりなのに無駄に道路の幅が広い。遊郭時代からの道幅なのであろう。

栃木小山遊郭
小山遊郭(新地)当時の写真。上の写真とほぼ同じ場所と思われる。時代によって入れ替わりはあると思うが、右手手前に亀村楼、奥に金丸楼、左手手前には宮野屋、奥には若亀楼があったという。

栃木小山遊郭
電柱にある「新地」の文字。このふたつのみが遊郭消滅80年後の現在において確認できる遊郭の名残である。

栃木小山遊郭

栃木小山遊郭

栃木小山遊郭
遊郭の華やかなイメージとは逆に、現在は裁判所や検察庁等、お堅い建物が並んでいる。

遊郭は終戦を待たないうちに消滅したが、現在の小山市は北関東で指折りの裏風俗のメッカである。

栃木小山遊郭

栃木小山遊郭

栃木小山遊郭

栃木小山遊郭

栃木小山遊郭
妖しいお店があちこちにいくつもあって昼間から客引きのおじさんが声をかけてくる。こんなこといいな、できたらいいな、みたいなことが出来てしまうらしい。これこそまさに『私娼街が一方に殖え』ではないか。昔との共通点を見つけて面白く思ってしまった。

栃木県小山市。遊郭も小山遊園地もとっくに廃れたが私娼街は元気である。

夜の、おやーまゆーえんちー。なんちて。

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2017-05-03(Wed)

長野県佐久市岩村田遊郭跡を歩く。


現在は長野県佐久市に属する岩村田は中山道の宿場町だった。そのはずれにかつて遊郭が存在した。

遊郭が出来たきっかけは、岩村田から10キロほど離れた追分宿の衰退にある。江戸時代末期の政情不安や参勤交代がきちんと行われなくなったことにより交通量が減少、更に明治になり鉄道が開通したことから宿場の機能もなくなってしまった。

そこで追分宿の人達は、追分を離れ小諸に遊郭を造ろうとしたが許可されず、1889(明治22)年、当時佐久の行政や商業の中心地だった岩村田に開設した。

岩村田遊郭
(『図説 佐久の歴史<下巻>』より)

岩村田遊郭
(『軽井沢三宿の生んだ追分節考』より)

遊郭の中心には池があり、それを取り囲むように遊歩道や妓楼が配置され、周囲は黒板塀で取り囲まれていたという。

妓楼は追分からの「小川楼」・「永楽屋」・「嘉女屋(亀屋)」・「新嘉女屋(新亀屋)」・「吉野楼」・「大丸屋」・「中喜屋(中木屋)」・「八橋屋」8軒に、岩村田宿から「高地楼」・「大黒屋」・「宝玉楼」の3軒が加わり、計11軒であった。

岩村田遊郭
(『佐久・小諸の昭和史 保存版』より)

その中でも嘉女屋は三階造りの客間の上に四階を太鼓櫓風の小部屋とし、さらにその上にコウモリ形の屋根を付け、ひときわ目立っていた。

すぐそばの鼻顔稲荷神社の参拝客も含め非常に賑わったが、大正昭和の不況や戦争の拡大により客足は衰え、1940(昭和15)年には嘉女屋も取り壊されて韮崎に運ばれて行ったという。

現在、遊郭のあった場所は団地になってしまい何の面影も残っていないが、大門の門柱が現存しているという。それを見るために岩村田を訪れてみた。

岩村田遊郭
まずは岩村田駅前。案内板にも「遊廓大門の跡」と記されており、史跡・名所扱いされている。ちなみに岩村田は「いわむらだ」と読むが、電車内のアナウンスでは

「次は、いわむらーだ、いわむらーだ」

と伸ばして読まれていて、なんかの語感に似ている…と思ったら「たまプラーザ」だった。

岩村田駅から東に歩き、岩村田交差点を南に曲がると岩村田で最も栄えた商店街。岩村田本町交差点で再び東に曲がり下仁田道を10分ほど歩いているとやがて見えて来る。

岩村田遊郭
これが岩村田遊郭大門の門柱。トンネルの向こう側が遊郭エリアとなる。これだけしっかり、しかも左右両サイドとも残っているのは全国でも珍しいのではないだろうか。ここを通り過ぎて行った無数の人達の思惑を想像するだけで遊郭のあった時代にタイムスリップした気分になる。

裏面に

「明治四十一年一月起工
 明治四十一年八月竣成」

とある。西暦1908年であり、既に100年以上経っている歴史的建造物だが、地域のゴミ置き場や民家の庭に浸食され、日常生活の場の中に埋もれてしまっていた。

岩村田遊郭
遊廓内エリアから見た門柱。左奥、屋根に太陽電池が乗っている民家は元床屋だったようだ。冒頭で載せた地図にもちょうどこの位置に「とこや」と書かれており、もしかしたら当時からあった店なのかもしれない。

岩村田遊郭
大門をくぐってすぐ右側に古い建物がある。これは性病患者用の隔離病棟だったそうだ。

トンネルの向こう側は団地。歩いてみたが遊郭の名残りは全く見つからなかった。

岩村田遊郭
(『佐久・小諸の昭和史 保存版』より)

これは湯川に架かる鼻顔橋を渡ったところにある鼻顔神社側から撮った当時の写真。

岩村田遊郭
ほぼ同じ場所から撮ってみた。

遊郭跡巡りはこれぐらいで、あとは岩村田市街地内で味のある建物をいくつか回ってみた。

まずは岩村田交差点近くにある「好楽センター」なる建物。

岩村田遊郭

岩村田遊郭

岩村田遊郭
いくつかのスナックの集合体のようだ。現役の店はほぼないと思われる。

岩村田遊郭
辛うじてまだ営業していると思われる雰囲気がここに。タイ語だろうか。15年ほど前のネットの書きこみ情報によると、ここにはいくつかのタイ系の連れ出しスナックが入っていたという。

岩村田遊郭
そして岩村田本町交差点近くにある「いわんだ・ゴールデン街」。地元の人は岩村田のことを「いわんだ」と呼ぶらしい。ここもタイ系のお店が6軒ほど集まっており、その中に日本の飲み屋が3軒ほど混じっている状況である。

岩村田遊郭
入ってみると、おお、りんごとスターでリンゴ・スターだ。なんちて。手前の店のドアが開いており、そこから見えたママさん(だろうか)に

「コンニチワ」

と挨拶され、僕も慌てて「こんにちは」と返事をする。

岩村田遊郭
左側の長屋もボロいが右側の「たつみ」の今にも崩れ落ちそうな寂れ感がたまらなく良い。

岩村田遊郭
更に進むと「フレンド」の中からママさんが出て来て

「コンニチワ!」

やはり挨拶をして僕の前を颯爽と歩いてゆく。僕も「こんにちは」と声をかけ、ママさんの後を付いて更にゴールデン街の奥へ進もうとしたら、彼女がこちらを振り向き

「イキドマリなのでーす!」

と言うのであった。

「?」

と思って突き当りを左に曲がってみると、確かにそこはトイレであり、行き止まりであった。

「ホントだ、あはは」

「アハハ」

タイのママさんは気さくである。

岩村田遊郭
Uターンしてゴールデン街を後にした。

岩村田の商店街はかつては佐久地方の商業地の中心としてかなり栄えたようであるが、現在はレトロで寂れた商店街という感じが否めない。

ここから歩いても20分程度のところに長野新幹線の佐久平駅が出来、駅周辺が開発されてイオンモールやベイシア等の大型商業施設や郊外型店舗が立ち並び、客足はすっかりそちらに奪われてしまっている。

岩村田遊郭が出来たきっかけとなった、かつての追分宿が衰退と状況が似ているのではないだろうか。

しかし岩村田の商店街を歩いてみると、商店街振興組合が運営する手づくり惣菜の店「本町おかず市場」や商店街直営の塾「岩村田寺子屋塾」など地元活性化のために手がけている施設をいくつか見ることが出来た。

昼ご飯を食べに入ったのもそのうちのひとつ。「三月九日青春食堂」。店名はちょっと恥ずかしかったが、ご当地メニューが豊富で良い。

岩村田遊郭
「いわんだセット」1,000円。

地元の農業高校とコラボして生まれた豚肉たっぷりの「北濃カレーうどん」、地元信州味噌発祥の安養寺の味噌を使用した「安養寺味噌ぶた丼」、どれもとても美味しかった。コロッケも。

岩村田遊郭
夕方の6時前、ちょうど「いわんだ・ゴールデン街」と道を挟んで反対側にあるバス停から高速バスに乗り、岩村田を後にした。

ゴールデン街には明かりが灯っていた。時間が許せば寄って行きたかったな。

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2017-02-19(Sun)

宇都宮の遊郭跡・赤線跡・花街跡を歩く。

宇都宮の遊郭跡と赤線跡と花街跡を訪れてみた。


まずは遊郭。宇都宮の遊郭は旧宇都宮城内の南端、河原町にあった。

宇都宮遊郭
『宇都宮商業地図(明治の宇都宮, 3)』より

1894(明治27年)、これまで伝馬町(大通りとユニオン通りの間あたり)、池上町(オリオン通り裏のソープ街あたり)、材木町(伝馬町の西)にあった12軒の妓楼が移され、遊郭が形成された。亀の字のような区画の形だったので「亀廓」と呼ばれた。

宇都宮遊郭
その入口の大門には

「春入翠帷花有色」(右側:はるはすいにいってははなにいろあり)
「風來繍閣玉生香」(左側:かぜはしゅうかくにきたってたまこうをしょうず)

と記されていた。ちなみにこの漢詩は同じ栃木県烏山町の旭遊郭の大門にも記されている。

妓楼は大籬(おおまがき)と小楼(こみせ)のふたつに区別され、大籬は元池上町にあったもの、小楼は元材木町にあったものだった。

宇都宮遊郭
大籬のひとつ、小松楼は木造三層から成り、三層は時計台のある展望台だった。この時計台はひときわ目立つ建物だったようで、

宇都宮遊郭
木版画家・川上澄生の「宇都宮新地風景」にその姿が確認できる。

宇都宮遊郭
また、石版画家・織田一磨の「たそがれ」にも描かれている。

このような風情と趣きのある遊郭、ぜひタイムスリップしてでも訪れたいものであるが、「たそがれ」とほぼ同じ場所と思われる現在の風景は…

宇都宮遊郭
こんな感じである。風情のかけらもない。ただの住宅地と空き地である。当時の面影はほとんどない。しかし住宅地にしては幅が広い道路は当時のままであり、↑の画像から回れ右するととんでもない建物が残っていたりする。

宇都宮遊郭
それがこれ。どピンクのカフェー調な建物。

宇都宮遊郭
崩れ落ちそうな庇。いったい何物なのだろうか。先程の地図にある「福泉楼」(「宇都宮繁昌記」には「福和泉」と表記)の位置に当たる。しかもこの建物、とても大きくて

宇都宮遊郭
南北方向(画像左側)には長屋のように長く伸びていて、

宇都宮遊郭
南端には「幸」のシンボルマークが付いた2階部分に取って付けたような増築部があり、とても奇妙である。

宇都宮遊郭
そして東西方面にこうなって、

宇都宮遊郭
宇都宮遊郭
更にはこうなって、大谷石の蔵までひと繋がりになっている。ずっと後の時代の住宅地図によると、この建物の長屋っぽいところは「幸楽貸室」、蔵部分は「幸楽質店」となっており、遊郭廃止後はアパートや質屋として使用されていたようだ。

宇都宮遊郭
間を進んでゆくと…

宇都宮遊郭
福助人形がいてかなりびびった。驚いた。

宇都宮遊郭
敷地の端に祀られているお稲荷様の祠。狛狐の台座に「福和泉」とはっきり刻まれていた。


宇都宮の色街はこのエリアの他にもうひとつあった。亀廓とは宇都宮城址を挟んでほぼ反対側あたり、通称「中河原」と呼ばれていた現在の宇都宮市中央5丁目付近に色街の名残りを見る事が出来る。

戦後間もない頃は亀廓と中河原のふたつが宇都宮の「赤線」と呼ばれていたようである。『全国花街めぐり』には

『剣の宮町から旭町の方へ抜ける日野の裏通りの一画、俗に「剣の宮町」と云つて居るが所謂宇都宮の玉の井で、白壁ほどに塗立てた女が狭い路次の軒並に巣づくつてゐて、日が暮れてからはとても徒歩では通れぬやうなところである。』

とあり、なかなか凄まじい様子であったらしい。現在は

宇都宮遊郭
このような飲み屋長屋が残る街角に、

宇都宮遊郭
宇都宮遊郭
宇都宮遊郭
宇都宮遊郭
なんとなく川崎のちょんの間を思い出させる建物と雰囲気。今でも夜になればひっそりと明かりが灯り、「白壁ほどに塗立てた」老女が営業していそう。

宇都宮遊郭
中央5丁目から少し南、いちょう通りを渡った中央3丁目にもこのようなレトロな建物が。更に南に行って本丸3丁目には

宇都宮遊郭
「赤線跡を歩く」(木村聡著)にも乗っている木造の建物。

宇都宮遊郭
こちらは北面側。入口がふたつある妖しい建物であるが、現在は普通の住宅として使用されているようである。

「中河原」とは遊郭のようにカチッと区画されたエリアではなく、宇都宮城址の北東エリアから釜川あたりの広い範囲に妖しいお店が点在していた区域を指していたのかもしれない。


中河原からだいたい西の方向に歩いて行くと、宇都宮で一番の繁華街、オリオン通りに辿り着く。その1本隣の通りに現役の風俗街、池上町がある。

宇都宮遊郭
メインストリート。

宇都宮遊郭
味のある横丁を発見。

宇都宮遊郭
奥に行くと二手に分かれており、なんだかとんでもない路地裏に迷い込んだ。

宇都宮遊郭
もう一方のどん詰まりにはやはりソープランド。

横丁の名前にある「江野町」とは、そういえば『全国女性街ガイド』には

『花街は馬場大通りの東武宇都宮駅附近にある江之町、宮園町界隈』

とあって、芸妓が150人、料亭も102軒もあり北関東随一の花街だったが、面影は全くなくなってしまっている。


ではもうひとつの宮園町はというと、現在の宮園町は西半分が東武宇都宮駅と東武百貨店で、東半分が飲み屋街になっている。しかし空き地が目立ち、古ぼけた飲み屋と怪しいお店がポツリポツリと点在している、寂れた印象である。

宇都宮遊郭
怪しいお店。噂によるとエロい店らしい。

宇都宮遊郭
このボロボロの建物はすごい。表がこうで、

宇都宮遊郭
裏がこうである。

宇都宮遊郭
100年以上の歴史を持ち、大谷石建築の聖堂が国の登録有形文化財に登録されている「カトリック松が峰教会」から徒歩10歩ぐらいの距離にソープランドがあることに驚く。

聖と俗がこんなに近過ぎていいのだろうか。僕も祈らずにはおられない。

○ーメン(すいません)。

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