2021-11-23(Tue)

栃木県栃木市大平町新遊郭の娼妓や料亭の芸者がお参りした不幸な祟り神『お玉稲荷』伝説を調べる

栃木県栃木市大平町新(あらい)、田んぼに囲まれた「お玉稲荷」と呼ばれる祠がある。


場所はこのへん。

江戸時代、不幸にも殺され怨霊となった「お玉」さんを祀っている。僕が最初に見た時はボロボロで今にも崩れそうだったが

お玉稲荷
(2016年当時のお玉稲荷)ちなみにうしろに写っているのは実家のママチャリである。

お玉稲荷
2017年ごろ最近新しく建て直され「お玉様」と額も掲げられていた。昔は鳥居もあった。今も地元の方の厚い信仰心が残っている証拠である。ちょっと長くなるがお玉さんの伝説は以下の通り。何パターンかあるので代表的なものを紹介する。

江戸時代、元禄年間(1688~1704)とも正徳年間(1711~1716)ともいわれているが、当時水代村、現在の栃木県栃木市大平町新(あらい)字田迎(たむかえ:お玉稲荷のすぐそば)に、田村宗左衛門の愛娘でお玉さんという絶世の美人がいた。

同村字下新井の吉澤庄太夫という紺屋(染物業)がお玉さんに惚れ、やがて近所の人々が羨むような仲睦まじい夫婦となった。庄太郎という子供もでき、紺屋も数人の若者を使用する程繁盛していた。

庄太夫は仕事柄留守がちだったが、その間は夫婦の信頼の厚い若者頭の与四郎という職人がお玉さんを助けて働いていた。

一方、近所に庄太夫を幼少の頃から可愛がっていた須藤朗閑という隠居者がいた。朗閑はかねてから自分の娘である菊江を庄太夫と結婚させたいと思っていたがお玉さんと結婚してしまったので叶わず、菊江は他家に嫁いで行ったが折り合いが悪く家に戻って来てしまった。朗閑は娘を不憫に思いお玉さんを亡き者にして庄太夫と再婚させようと悪計を巡らせた。

朗閑は近隣の村人にお玉さんと与四郎が密通していると言い触らし、更に庄太夫も家に呼び寄せお玉さんの不義をなじった。そして刀を玄関の胡麻殻の束の中に入れておくから、調べて合点がいったら取りに来いと入れ知恵をした。

その話を信じてしまった庄太夫は髪を結っているお玉さんの背後から斬り付けた。必死に無実を訴えるお玉さんの乱れた髪を、そばにあった砧石に巻きつけてとどめを刺した。更に外出中の与四郎を村はずれに待ち受けて斬り殺してしまった。

その翌日から庄太夫は砧石の上にお玉さんの姿を見た。朗閑も夜な夜なお玉さんと与四郎の亡霊に悩まされ、ある夜菊江をお玉さんと間違えて槍で殺してしまった。半年後に朗閑も庄太夫に誤って殺される有様。

数々の殺人を犯した庄太夫は身も心も疲れ果ててしまった。ある夜、お玉さんの亡霊が現われ

「庄太夫殿、私の潔白が分かったか、無実の罪で殺された2人の無念が悟れたか」

と訴えるので庄太夫は罪を悔い出家して近隣に草庵を結び2人の霊を弔った。そして64才で死んだ。

お玉さんの家に残った血染めの砧石を祠に入れて建立されたものがお玉稲荷で、3人を殺した刀はその後もやたらと人を斬りたがるので村人が相談の上近くの岩舟山高勝寺(近くにある有名な霊場)に奉納した。また、そんな刀を胡麻殻の中に忍んでおいたことから以後胡麻を作ると祟りがあると恐れられこの地域では胡麻を作らなくなったという。

別のパターンの話では庄太夫が斬ろうとする時に

「死ぬ前にせめて髪を洗わせて下さい」

とお玉さんは最後の懇願をしたが、髪を洗っている途中で殺されてしまった。それからというもの村人が雨の日に傘をさすと髪を散らしたお玉さんの首がぬっと現れるようになったため村人みんなで祠を作りお玉稲荷として祀ったという。

以上がお玉さんの伝説である。お玉さんには全く非が無いのに近所の爺さんに誹謗中傷され、夫にも信じてもらえず無念の極みだったろう。ここから歩いたら30分ぐらいの場所に富田宿という宿場町があり、ここには「富田女郎衆」と呼ばれるほど飯盛旅籠(のちの遊郭のルーツ)とそこで働く女郎(娼妓=売春婦)さんが多かったが、同じ女性として不幸な運命が同情を誘ったのか女郎さん達のお参りが絶えなかったそうである。

お玉稲荷がある場所は実は僕の実家の近くであったが僕自身は子供の頃は伝説も含めて全く知らなかった。しかし母に教えてもらい早速祠の写真を撮りに行って見せたところ

「写真なんて撮るんじゃない!あれは神様とかそういうのじゃないから!消しなさい!」

とものすごく怒られてしまったことから信仰心と共に畏れる心も年配者を中心に残っているようである。

お玉稲荷
ちょっと手を合わせて祠の中を覗かせていただくことにする。祠の中には血染めの手拭いが入っているという言い伝えも残っていたが、現在は破損したお狐様の像があるばかり。


お玉稲荷

お玉稲荷

寄進札が掲げられている。いつぐらいのものだろう。辛うじて読めるものもある。

西水代 佐山理髪店
西水代 大山理髪店
静和(?) 山本理髪店

髪にまつわる話だけに理髪業者が多いような気がする。

お玉稲荷
絵馬。色落ちして全く分からない(これは現在残っていない)

お玉稲荷

お玉稲荷
祠内に残っているもの。石と見ると砧石に見えてしまうが…。明治4年未6月吉日、願主鈴木熊三郎と書かれている。前述の田迎地区に鈴木さん(元栃木市長)のお家があるが関係あるだろうか。

お玉稲荷
こちらは「鯉保内 小ちやら」と読める。

鯉保(こいやす)とはかつて栃木市の中心部にあった料亭。のちに旅館業も営み2005年まで「ホテル鯉保」が営業されていた。女優の山口智子さんの実家でもある。「小ちやら」とは鯉保の抱え芸者さんの名前であろう。女郎さんだけでなく芸者さんもお参りに来ていたのだ。

お玉稲荷に寄進するほどの売れっ子芸者だったのだろうか、何を思ってお玉稲荷に寄進したのだろうか。小ちやらさんについては何も分かっていない。

お玉稲荷
ちなみにこれは「ホテル鯉保」のマッチ箱。

遊郭の娼妓や街中の料亭の芸妓も参拝したお玉稲荷は今も地元の方々に信仰され、また畏れられながら静かに田んぼの中にただずんでいる。

【参考文献】
・『浄土』第27巻第2号1961(昭和36)年2月1日発行/法然上人鑚仰会
・『大平町誌』/大平町教育委員会
・『下野新聞』1929(昭和4)年10月24日/下野新聞社
・『民話の海へ とちぎの新しい民話集』随想舎/下野民俗研究会月曜会


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2021-11-08(Mon)

水曜日のカンパネラライブレポート『りんご音楽祭2021』松本市アルプス公園2021.11.06

長野県松本市の野外フェス、りんご音楽祭にての水曜日のカンパネラ。

詩羽ちゃんが2代目主演となってから2回目のライブとなる。この日の出番はトップバッターで10:30より。

水曜日のカンパネラ
フェス会場への橋。ちなみに撮ってる時は気付かなかったが橋を渡っているのは水カンメンバー達。

僕は遅れてはならぬと9時頃現地に到着したが開場が10時からとのことでしばらく門の前で待ちぼうけを食らっているとやがてリハーサルの音が聞えてきた。早めに入場してリハも観たいという思惑もあったのだが。しかし詩羽ちゃんの歌声とケンモチさんのサウンドが紅葉の山の中にとても綺麗に響き渡りそれだけで感動してしまった。

しかも意外な曲も歌っていて期待はガンガン高まりつつようやく開場の時間となり、ステージに向かうと詩羽ちゃんがニコニコ顔でトコトコと歩き回っているではないか。


(ケンモチさんのツイッターを引用)

観客側の視線を確かめているのだろうか。演劇漫画「ガラスの仮面」でもそんなシーンがあった。詩羽、おそろしい子!詩羽ちゃんだけでなくケンモチさんやDir.Fさんも側にいて談笑しており、アーティストとの距離が近いフェスであることよ。

定刻に始まったライブは一発目の曲はなんと「オードリー」。リハで聞こえてきた意外な曲とはこの曲のことである。水カンの曲の中でも難しい方だと思うのだけれども、めちゃくちゃ声が透き通っていてエモい。ライブ2回目とは思えず鳥肌が立ってしまった。

詩羽ちゃんはノンストップで「ディアブロ」「バッキンガム」とたたみ掛ける。歌だけじゃなくステージを縦横無尽にひらひらと楽しそうにパフォーマンス、特にバッキンガムで両腕を広げて「T」ってやるところが可愛い。

水曜日のカンパネラ
これは渋谷パルコで初ライブした時の「T」ポーズ。

詩羽ちゃんはこれまでフェスに来たことがなく、今回が初めてのフェスであり同時に初出演フェスなのだという。なんとメモリアルなりんご音楽祭。

昨日松本に着いて温泉でディアブロしたんですよ~、なんてことを喋った後に「アリス」。この曲がまたよくて…。渋谷パルコでの初ライブの時、この曲と共に颯爽と現れた詩羽ちゃんに涙してしまったものである。

コムアイさんが去った後も水カンぽさをそのままにしつつ新たな展開をガツンと見せてくれた水カンチームの素晴らしさに感動してしまったのだ。

最後は「桃太郎」。

「なんでもするから鬼ヶ島だけは勘弁してください…」

コムさんより更にヘロヘロで泣きが入った感じに嘆願する詩太郎がいい感じであった。ライブ時間は約20分。でもひたすら深くて熱くて濃い20分であった。

水曜日のカンパネラ
ライブ後詩羽ちゃん、ケンモチさん、Dir.Fさんからサインをいただいた。ちょっとがっつき過ぎたかもしれない。反省である。

今回の「りんご音楽祭」はコロナ対策のために入場者数やステージ数の制限、48時間以内の検査に基づく来場者の陰性証明の確認など、細心の注意が払われていた。

観客が立つところも地面にバミッて(目印が付いて)あって間隔が保たれるようになっていたのである。

りんごなのに「密」(蜜)がないのが素敵だった。なんちて。


【セットリスト】

1.オードリー
2.ディアブロ
3.バッキンガム
4.アリス
5.桃太郎


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2021-10-10(Sun)

水曜日のカンパネラ「P.O.N.D. OPENINGPARTY」渋谷PARCO 2021.10.08ライブレポ―ト

まさかまた水曜日のカンパネラのライブを観られるとは思っていなかった。

ここ数年主演・歌唱のコムアイさんが水曜日のカンパネラ本体より他のユニットやコラボなどでの活動が目立っており、解散とまではいかないがこのままズルズルと開店休業状態が続くのだろうかと思っていたがこのたびコムアイさんが正式に脱退、詩羽ちゃんというハタチの女の子に二代目の白羽の矢が当たり新たな展開を示した。

古くからのファンとしては複雑な思いがあるがポジティブに受け止めたい。

新体制となった初ライブは渋谷パルコ10Fのイベントスペース。20:15ぐらいから。

水曜日のカンパネラ
いきなり新曲の「アリス」のイントロと共に颯爽とステージに現れた詩羽ちゃんは堂々とパフォーマンスを始め、

「みなさん初めましてこんにちは、水曜日のカンパネラの詩羽です。今日は盛り上がっていってくださーい!」

めちゃくちゃキュートな笑顔とピースサインで観客に声をかけた。更にサウンドプロデューサー・ケンモチヒデフミによるこれぞ水カンという音色にたちまち心を奪われてしまった。

「アリス」とはアリス・クーパー…じゃなかった不思議の国のアリスをモチーフにした曲。

「大きくなったり。小さくもなったり」

水曜日のカンパネラ
と歌っていたがその通り見た目はちょっと小さめの詩羽ちゃんが時々大きく見えたりで圧巻のパフォーマンス。

2曲目はなんと「シャクシャイン」。水カンの曲の中でライムがこれでもかというくらいびっしり詰まっている最難関曲であるが詩羽ちゃんは相当鍛えていたと見え淀みなくこなす。ここで「継ぐのは私だ」という強烈なアピールを受け止めた。

3曲目は銭湯の歌「ディアブロ」。かつてコムアイさんが

「いい湯だね!」

と呼びかけ

「いい湯だね!」

と観客が答えるコールアンドレスポンスはこのご時世なので観客は手を挙げてレスポンス。

「らららー」

というコーラスの声はまだコムアイさんのものだったが、このコールアンドレスポンスといい湯気を現す腕を上げてゆらゆらと揺らすパフォーマンスもまた懐かしい限り。

4曲目はまたも新曲「バッキンガム」。世田谷区にある「給田(きゅうでん)」という地名を「宮殿」にかけた曲。「シャクシャイン」ばりに世界中の宮殿の名前の羅列の読み上げたり

「給食のきゅうー、田園のでんー」

などというひたすらどうでもいい歌詞なのに詩羽ちゃんのパフォーマンスとケンモチヒデフミサウンドによる魔術で何故かめちゃくちゃエモい。これぞ水曜日のカンパネラ。これが観たかった。

5曲目が「桃太郎」。水カンの看板曲であるがこれも見事にこなし、コムアイさんがやらなくなってから久しい

水曜日のカンパネラ
きっ

水曜日のカンパネラ
びっ

水曜日のカンパネラ
だーん

懐かしの卓球の三角打法をイメージした振りも復活。それに観客スペースに割って入りステッカーを配るというこれもコムアイさんの十八番を受け継ぐようなライブパフォーマンス。但し事前に

「ステッカーを配りますけど喋らないのと人と人との間隔を空けておいて下さいネ」

とコロナ対策をアナウンスするのが今風であった。

水曜日のカンパネラ
いただいたステッカー。もう1種類あるらしい。

水曜日のカンパネラ
裏面。ライブ後サイン貰ってしまったり。

最後の曲は「一休さん」。ああ、この曲でライブの終わりをしみじみ感じたものだなあ…とまた懐かしさに浸りつつライブは終わった。

コムアイさん時代を振り返りつつ詩羽ちゃんの新しいパフォーマンスを楽しむ、クロスオーバーなライブであった。

シャクシャインやディアブロ、桃太郎等の既存曲のコーラス部分が未だコムアイさんの声であり、本来は替えるべきなのだろうが、ケンモチさんによると今回は時間がなかったらしい。しかし詩羽ちゃんとコムアイさんの声が重なり合うところがまるでDJプレイの繋ぎのようであり、前の曲と次の曲が重なり合う心地よさがコムアイさんから詩羽ちゃんへ繋がることを現しているようでたまらなく良い声の混じり合いであった。

水曜日のカンパネラ
ライブ後の詩羽ちゃん。めちゃくちゃ明るくてライブを演じ切った感。

詩が羽を持ったように舞う、良いライブであった。なんちて。

【セットリスト】

1.アリス
2.シャクシャイン
3.ディアブロ
4.バッキンガム
5.桃太郎
6.一休さん

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2021-09-23(Thu)

栃木県下野市石橋町遊郭跡地を探る

栃木県下野市石橋にはかつて遊郭があった。規模が小さく資料も少ないためどこにあったのかはっきりと特定出来ていないが現段階で分かっていることをまとめてみることにする。



1.栃木県下野市石橋とは



栃木県下野(しもつけ)市は栃木県の中央からやや南に位置し、県庁所在地である宇都宮市の南隣にある。

2006年に南河内町、国分寺町、石橋町が合併した市であり、そのうち旧石橋町にかつて遊郭が存在した。

栃木県下野市石橋町遊郭
石橋は南北を走る日光街道(国道4号線)とJR宇都宮線の石橋駅の間あたりが中心地である。かつて日光街道の宿場町「石橋宿」として栄えた。また干瓢の一大生産地として有名であり、干瓢を扱う商店や干瓢問屋を見ることが出来る。

2.遊郭が出来る前の女郎屋「飯盛旅籠」



遊郭が出来たのは明治時代だが、それ以前は宿場町の街中に飯盛旅籠(めしもりはたご)という旅人のお世話をするという名目で置いた飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれる女性を置き、性的なサービスを提供する実質的な女郎屋(今でいう風俗店)が点在していた。江戸時代の幕府は宿場町に対し、役人等が公用で旅をする際のための人馬を常備することを義務付けしており、その負担費用を捻出するため女郎屋の営業を黙認していた。

明治時代になって性に関する営業を取扱う決まりが変わり女郎屋は「貸座敷」、飯盛女は「娼妓」と呼ばれるようになる。さらに貸座敷が街中にあるのはよくない、ということで街の外れにまとめて移転するようになる。これが「遊郭」である。

江戸時代、石橋宿にどれくらいの飯盛旅籠があったかは調査不足で不明だが、「栃木県統計書」によると1882(明治15)年には貸座敷6軒、娼妓数26名とある。1885(明治18)年に石橋駅が開業し宿場町が寂れてしまったせいか貸座敷数・娼妓数とも激減し翌年の1886(明治19)年からは貸座敷がたった1軒のみとなってしまう。

栃木県下野市石橋町遊郭
1890(明治23)年発行「大日本博覧圖 栃木縣之部」にある貸座敷「和國楼」の銅版画。細かく描かれていて当時の貸座敷の様子を垣間見ることが出来る。遠くに汽車が走っていることから石橋駅開業以降のものと分かる。

栃木県下野市石橋町遊郭
1907(明治40)年の「栃木県営業便覧」にも「和國楼」の記載がある(右上、黄色くしてあるところ。コピー失敗して「楼」の字が見切れてしまっているが…)。

栃木県下野市石橋町遊郭
これによると和國楼があった場所は現在の日光街道沿い、ガソリンスタンドの斜め向かいあたりだと推定する。遊郭が出来る以前、日光街道沿いの街中に貸座敷があったことを証明する資料である。

栃木県下野市石橋町遊郭
現在の風景。奇しくも先程の和國楼の銅版画のような立派な建物。

栃木県下野市石橋町遊郭

栃木県下野市石橋町遊郭
このあたりは旧家と思われる立派な建物が多く並んでいる。

3.石橋町遊郭の誕生



栃木県では1899(明治32)年に「遊郭設置規定」が発布され、県内の遊郭設置場所が指定された。うち、石橋は「石橋町大字石橋牛井戸」という地名が指定地となった。

石橋に遊郭が誕生したのはそれから9年後の1908(明治41)年1月22日だった。当時の地元の新聞「下野新聞」には

『石橋町新地開業

下都賀郡石橋町字中井戸の新地は今22日廓開きをなす由』

と記事が載っている。新地とは遊郭のこと。牛井戸を中井戸と間違えているようだが牛井戸に出来たことは間違いないようである。貸座敷の数は最大で3軒であり栃木県内では小規模の遊郭であった。

栃木県下野市石橋町遊郭
貸座敷の名前は高砂楼、旭楼、大盛楼。この画像は地元の新聞「下野新聞」に載っていた石橋町遊郭の広告。前述の和國楼はなく、どうなったかは残念ながら不明である。

うち高砂楼は町長を勤めた人がオーナーとなっており、旭楼は石橋町の豪商の妾が女将になっている。旭楼の女将についてはあまりにもキャラが強いため別途まとめることにする。

ちなみに画像下段にある「金崎新地」とは現在は栃木市に属する旧上都賀郡西方村金崎にあった金崎遊郭のことである。

4.旭楼の鬼女将おカネさん



旭楼の女将はおカネさんといい、何かと厳しく怖い人だったようである。

おカネさんは旭楼の女将になる前は「兼吉」という宇都宮の芸者だった。石橋町の豪商である干瓢問屋で石橋銀行の頭取でもあったT氏に見受けされ旭楼を開業する。「芸者上りの美人」という評判であったが娼妓達に対しては厳しいものであったらしい。

1911(明治44)年にはおカネさんと口論した娼妓が当てつけに井戸に飛込み、苦しみ悶えているところを高砂楼の娼妓に助けられたという記事が残っている。

1913(大正2)年には旭楼の娼妓が一度に2人も脱走したという記事も。彼女らは警察署に逃げ込み自由廃業(貸座敷の雇主の同意を必要とせず、自らの意志で娼妓を廃業すること)をした。その際「むごい扱いをされ、食事もろくに食べさせてもらえない」と廃業の理由を語っていた。

また、実子のなかったおカネさんは2人の女の子を養女とするが虐待がひどかったことも新聞に載っている。。

1912(大正元)年の下野新聞には「石橋の養女虐待」という見出しの記事には、「鬼兼」と綽名されているおカネさんが当時12才と8才の養女を「打つやら蹴るやら便所に押し込むやら其の他水攻め湯攻めの恐ろしき虐待」をしているとある。

余りの虐待に堪え兼ねて養女の2人は家を抜け出し石橋駅から汽車に乗り、東京に逃げようとし上野で降りるつもりだったが途中の小山駅で人の乗り降りが激しかったので上野と勘違いして降りてしまい警察官に見つかって連れ戻されてしまったという。彼女らの辛さと無力さが伝わって来て胸が痛くなる話である。

新聞記者による記事だけでなく、読者がタレコミを入れる「ハガキ欄」というコーナーにも

『石橋町新地旭楼の女将さんは新聞で叩かれたにも拘わらず未だに養女虐待の非行が改まらず2、3日前も殴ったり蹴ったり』

『去ぬる夜石橋新地某楼の女神が9才になる貰い子を打つやら叩くやらそれはそれは外目にも気の毒の折檻をしていたが何とかならないだろうか』

などという投稿が掲載されている。これだけ虐待の事実が明らかなのに、警察官はおカネさんに説諭したのみで近所の人達も『何れも大いに其の非行を憎み居れり』と見ていただけであり、彼女らが安全な環境へ保護されなかったのは当時の社会の限界なのだろうか。

2人の娼妓に逃げられた後のおカネさんはすぐさま新たな娼妓を見つけようと焦っているのを足元を見られたのか、女衒(娼妓を斡旋する職業)の詐欺に会い多額のお金を騙し取られてしまったり、虐待していた上記12才の養女は19才になった時に隣村の男と失踪したり、因果応報的な記事も掲載されており、これほどエピソードが新聞に載っている遊郭関係者も珍しい。実際悪かったのだろうけれども遊郭の悪いイメージを一身に浴びせられているような気もする。

5.石橋町遊郭の最後



石橋町遊郭がいつまであったか、残念ながら分かっていない。自分が調査した限りでは1936(昭和11)年1月1日の下野新聞に高砂楼のみが広告を出していたのが確認できる最後の記録で、1937(昭和12)年の「衛生統計書」では県内遊郭の貸座敷数と娼妓数が記載されているが石橋の欄はなかった。おそらくこの間にすべての貸座敷が閉業し、遊郭は消滅したものと考える。

話は逸れるが石橋駅近くの日光街道沿いに「高砂食堂」というとんかつメインの食堂がある。上記の高砂楼と高砂かぶりなので入ってみた。

栃木県下野市石橋町遊郭
こちらひれかつカレー。とんかつがウリなだけあり柔らかくて最高。カレーもカツとよく合いとても美味しい。ポテサラも。高砂食堂は1930(昭和5)年開業という老舗。その頃はまだ高砂楼があったので高砂楼が貸座敷から食堂に転業した…という可能性はないだろう。しかし何か繋がりがあるかも知れないと聞いてみたかったのだがお店の方が若い女性の方だったので聞きそびれてしまった。

6.石橋町遊郭の場所



前述のとおり石橋町遊郭は「石橋牛井戸」という場所に出来た。「牛井戸」というのは小字名で現在の地図では載っていない地名である。

「石橋町の地名の探求 大字名・小字名の変遷と由来について」によると日光街道から西側のエリアのようで、約40年前の住宅地図でそのあたりを調べてみると、なんと、大盛楼のオーナーだった方と同じ名前の家を発見した。

栃木県下野市石橋町遊郭
また、1948(昭和23)年の国土地理院の空中写真地図を確認するとこのあたりが何か区画されており、大き目の建物が3、4軒並んで見える。既に遊郭内のすべての貸座敷が廃業している年代の写真ではあるが、もしかしてまだ残っていた元貸座敷の建物が写っているのではないだろうか。住宅地図で発見した元大盛楼オーナー名の家もこの区画内にあった。

栃木県下野市石橋町遊郭
これらを根拠として考えると、根拠としては弱いので確定は出来ないが、画像左端の水色で囲ったあたりが遊郭だったのではと考える。

栃木県下野市石橋町遊郭
今ではごく普通の駐車場と住宅が建っているのみだ。

栃木県下野市石橋町遊郭
元オーナーだった方の家はなくなり、新築で綺麗な家が建っていた。表札には全く違う苗字が刻まれていた。遊郭とはなんのゆかりもない方々だろう。

実はこの遊郭推定地は自分ではわりと自信を持っていたのだが、念のため近所の人に聞き込みをしてあわよくば裏付けできるお話が聞ければと思っていた。遊郭推定地のすぐそばにパン屋さんがあった。ここも少なくとも昭和初期からあるかなりの老舗であることは調査済みだ。

店に入るとレジカウンターの向こうに昔の事をよくご存じっぽいお婆さんがいらっしゃる。よっしゃ、パンを買うついでに聞いてみようと美味しそうなパンをいくつかチョイスしてレジに向うとビニール越しにお婆さんは

「あ、コレは売れ残っちゃってたヤツだからタダでいいよ」

などと思い切ったサービスをしてくれる。結果安過ぎて申し訳ないぐらいのお金を払ってから

「この辺に昔遊郭があったと聞いたんですが」

と直球で聞いたみた。

「は?ゆうかく…?」

あまりピンと来ない感じだったので

「女郎屋さん」

と言い直すと

「ああ、それなら駅前の方だよ。こっちにはないよ」

バッサリ否定されてしまった。遊郭に移転する前のことを言っているのだろう。遊郭があったことは今の石橋の方々には伝わっていないのだろうか。「石橋町史」にも遊郭の事は全く触れられていない。遊郭の規模が小さく早い年代に消滅したために現在ご高齢の方にすら伝わっていないのか。

考えてみれば石橋を含めて栃木県内の遊郭はすべて明治時代以降に出来たもので存在したのは数十年に過ぎない。貸座敷のルーツになった飯盛旅籠は江戸時代からあったわけで遊郭以前の方が200年近い歴史がある。遊郭の印象が薄いのも仕方がない。

ともあれ自信はもろくも崩れ去った。本当にどこにあったのだろう…。遊郭推定地はあくまで推定地として確定せず、今後も調査してゆくつもりである。

石橋だけに叩いて渡らないと。なんちて。

【参考文献】

下野新聞/下野新聞社
大日本博覧圖 栃木縣之部/青山豊太郎編
栃木県営業便覧/城北逸史編
栃木県統計書 明治19年/栃木県
栃木県警察統計表 明治20年~明治30年/栃木県警察部 
衛生統計書 昭和12年/栃木県警察部衛生課
石橋町の地名の探求 大字名・小字名の変遷と由来について/小林 利孝著

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2021-06-06(Sun)

xiangyuライブレポート『gaiA supported by FIRST FINDER』渋谷TOKIO TOKYO 2021.06.05

久しぶりにxiangyuちゃんライブを観た。

観に行くたびに「久しぶり」になってしまうこのご時世。今回は2か月ぶりぐらいか。

場所は渋谷のTOKIO TOKYO。今年になってhotel koe tokyoの地下に出来たライブハウス。そういえばhotel koe tokyoでは水カンのコムアイさんによる映画鑑賞会があって「帝都物語」を観たものである。あの時一緒に観たカンパネラ―の皆さんとも暫く会ってない。

xiangyuちゃんの出番は二番手、17:50ごろ颯爽と赤いシャツを纏い登場。やば、似たような服着て来るところだった。暑いからやめたけど。


そんなことはどうでもよく最初の曲は「BBIISPP」。いつの間にか寝落ちして気付いた翌朝、気怠い後悔と今日もやる気なし夫感が漂うこの曲。身体はバキバキ喉はイガイガ、目はシパシパだし顔パンパン。日頃疲れているとこういう曲が染みる。

xiangyuちゃんのパフォーマンスは相変わらず軽快でタフでガンガン曲を披露してゆく。ほんの30分の間に矢継ぎ早に9曲とか演ってしまうのだ。

コロナ前は週1ぐらいの勢いでライブがあったものだが残念なことである。本人が一番もどかしいに違いないが。


コロナ後のライブで発表された「モスキート」。指の関節を刺されると地獄、という蚊の歌。歌詞が蚊なり気になるがまだリリース予定はない模様。


ライブの最後を締めくくるのは最近巷で話題の「ミラノサンドA」。このライブの次の日の6月6日付け、J-WAVEのTOKIO HOT100では見事7位にランクインした。

シャンちゃんはMCでコロナが始まり約1年半、あまり思うように活動出来なかったことを話していた。葛藤や悩みがありつつも、それでもよくやってきたと肯定しつつ、今日も頑張ろうという時には大好きなドトールコーヒーの「ミラノサンドA」を食べてやる気を出すんです…ということを話していた。

コロナで思うように出来ないこと、コロナでしたくもない苦労や悩みを抱えてしまうこと、暗くなりがちだが、好きな食べ物でメンタルをポジティブな方向に持って行きたいというのは大変共感が持てる。

更に今日ライブをやってくれたことについても大変感謝したい。明日も頑張ろうという気持ちになれた。

xiangyu

xiangyu
ライブ後写真を撮らせてくれたシャンちゃん。ちゃんとマスクをしていたのだが無理行って撮る時だけは取ってもらうようお願いすると

「はっはっはー。そう来ますかー」

と笑って取ってくれたが調子に乗って今後も図々しくお願いし過ぎると怒られそうである。

仏の顔もミラノ三度。なんちて。

【セットリスト】

1.BBIISPP
2.Y△M△
3.プーパッポンカリー
4.菌根菌
5.ひじのビリビリ
6.モスキート
7.秒でピック白
8.home
9.ミラノサンドA

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